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データ分析の間隙にあるもの

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少し前に放送されていた某TVドラマの中で、広瀬すずさん演じる"天才ハッカー"が、ある堅牢なシステムに侵入しようと試みるワンシーン。

  • 暗い部屋の中、真剣な表情でノートパソコンを睨みながら、
  • カタカタカタカタカタカタ…(超高速タイピング)
  • カタッ!(Enterキー強打)
  • ビィィィィ…(進捗度のパーセンテージが順調に上昇)
  • 画面に「Complete!」の表示。
  • 「ふぅ…」

なんで"ハッキング"の描写って、いつまで経ってもこんな感じなんですかね。

昔見た映画「バトル・ロワイヤル」の中でも、こんなワンシーンがありました。
あれが2000年の映画なので、15年経っても変わらないこの描写。
「ノートPCでやるの?」とか「その使いづらそうなOSなに?」とか
「進捗度の表示といい、Complete!の表示といい、丁寧な作りだな」とか
色々ツッコミどころはありますが、一番のツッコミとしては、
「そもそも人がやるの?」ということ。

HDD「ガリガリガリガリ!!」
冷却ファン「ぶおおおおおお!!」

とかの方が余程リアリティある気がするのですが、
きっとこれだと視聴者が分かりづらいんでしょうね。

未だに「コンピュータよりも人がやった方が凄そうに見える」現実。

その一方で、書店のコンピュータ関連のコーナーに平積みされているのは人工知能関連の本ばかり。
「人工知能の脅威」だったり「人間は不要」だったり、"シンギュラリティ(※)"の向こう側を警鐘するようなキラーワードのオンパレード。

※シンギュラリティ…
技術的特異点(ぎじゅつてきとくいてん、英語:Technological Singularity)とは、テクノロジーが急速に変化し、それにより甚大な影響がもたらされ、人間の生活が後戻りできないほどに変容してしまうとされる、未来に関する仮説。人工知能が人間の能力を超えることで起こる出来事と説明されることも少なくない。単にシンギュラリティ(Singularity)ともいう。未来研究において、正確かつ信頼できる、人類の技術開発の歴史から推測され得る
未来モデルの限界点を指す。(シンギュラリティ - Wikipediaより)

機械学習を使ったデータ分析に取り組んでいると、現時点で手の届く"人工知能"は、あくまで計算機の延長、といったように感じます。
どうしても人工知能の話になると、ボードゲームの話題に寄りがちですが、初めて人間のプロ棋士がコンピュータに敗れたとき、その棋士の方は、一部の方々から物凄い誹謗中傷を浴びていました。

「プロ棋士なるもの、コンピュータごときに負けるとは何事か」と。
今から20年程前、多くのプロ棋士にこんな質問が投げかけられました。

「コンピュータがプロ棋士を負かす日は来る? 来るとしたらいつ?」

多くの棋士は、その経験とプライドから、「プロ棋士が負ける日など来るわけが無い」という回答をしていましたが、ただ一人「2015年」と予想した棋士がいました。
それが、当時、前人未到の七冠(タイトル総なめ)を達成した羽生善治さん。

まだ大人の事情もあってか、羽生さんvsコンピュータの対戦は実現していませんが、羽生さんのコンピュータに対する価値観として、興味深い記事がありました。

羽生善治「コンピュータ将棋により人間が培った美意識変わる」
(※「」内が羽生さんのコメント。以下、引用)

「なぜその手を指したのか、コンピュータの思考プロセスまではわからない。1秒間に百万手も読める莫大な計算力のあるコンピュータと同じ思考を、人間が持つことはできません。でも今後、一手一手を研究する中で、その過程が少しわかるようになるかも知れない。

 それは逆に、死角や盲点と言われる手をなぜ思いつかなかったのか、人間の思考プロセスが鮮明にされることにもなる。思考の幅やアイディアが広がり、将棋の可能性を指し示すことになるでしょう」
──より将棋を深められると。いいことばかりですか。
「いや、どうしても相容れられない部分もあると思います。人間の思考の一番の特長は、読みの省略です。無駄と思われる膨大な手を感覚的に捨てることで、短時間に最善手を見出していく。その中で死角や盲点が生まれるのは、人間が培ってきた美的センスに合わないからですが、コンピュータ的思考を取り入れていくと、その美意識が崩れていくことになる。それが本当にいいことなのかどうか。全く間違った方向に導かれてしまう危険性も孕んでいます」

この「美意識」という表現が、羽生さんだからなのか、それとも昔から日本で愛されてきた将棋というゲームだからなのか分かりませんが、とても繊細で絶妙な表現のように思います。

色々なところで論議されているように、コンピューターは未だに感情を理解することができない、効率だけを求めたデータ分析の間隙には、人の感情があるということ。

よくスポーツ系のマンガでも、敵役としてデータ重視のチームって出てきますよね。
大抵、最後は結局、主人公側の「努力・根性・熱血」みたいな、「データにはない何か」によって打ち負かされてしまうオチ。

「お、おかしい…こんなことデータではありえないぞ・・・(ノートPCをカタカタ叩きながら)」

単なる「効率化」だけではない、その間隙にある「何か」に対する美徳がステレオタイプな「vs人工知能」観には根付いているようです。

この先入観を払拭した人、組織、企業から順にビジネスにおける機械学習、人工知能の活用に繋げているのは自明のこと。当然、これらの活用においては、業務改革、構造改革に繋がることが多々。

とは言え、これらの活用は既に「当たり前」の時代になってきていると思っています。ユーザー側は、システムの最新事例だけを追っていてもしょうがないのでは?とも。

ところで、誤解を招かぬよう補足をしておくと、羽生さん自身は将棋におけるコンピュータの台頭に対しては肯定的に捉えているようです。対峙と迎合。

最後にそれを象徴する、このお言葉を拝借。

将棋がコンピュータによって完全解明されてしまったら、どうするんですか。
という質問に、羽生はケラケラ笑いながらこう答えた。

「そのときは桂馬が横に飛ぶとかルールを少しだけ変えればいいんです」
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